概要
Studer A800 Multichannel Tape Recorderは、Universal Audio(UAD)が手がける、スイス製の名機2インチ・マルチトラック・テープレコーダー「Studer A800」を再現したプラグインです。単なるサチュレーターではなく、入力回路からレコードヘッド、磁気テープ、リプロダクションヘッド、再生回路まで、テープマシンの信号経路全体をモデリングしている点が最大の特徴です。
実機のStuder A800は、マイクロプロセッサー制御を採用した初のプロ用マルチトラック機として1978年に登場しました。以来30年以上にわたり、Metallica、Stevie Wonder、Tom Petty、A Tribe Called Quest、Jeff Buckleyなど、数え切れないほどの名盤がこのマシンで録音されています。テープならではの「温かく、まとまりのある(cohesive)」質感、しっかりした低域、全体的な存在感が、楽器を音楽的に接着する効果で長く愛されてきました。
UADのこのプラグインは、Ocean Way StudiosにあるAllen Sidesのコレクションから実機(24トラックのMkIII、トランスレス電子回路)を借り受け、Studer公認のもと、磁気録音の権威であるJay McKnight氏の協力を得て約1年かけて開発されたものです。テープ・エミュレーションとしては初の本格的な回路全体モデリング製品であり、この分野の到達点として今も高く評価されています。
基本的な使い方は、DAWの各トラックの最初のインサートにこのプラグインを挿し、他の処理の前段でテープの質感を通すというもの。まさに実機のマルチトラック録音を再現する運用です。もちろんステレオアウトに挿してミックスダウン時のテープ録音を再現したり、他のプロセッサーの後段やバスに挿して非定型なサチュレーションとして使うこともできます。
なお、DSP版(UAD-2)と、サウンドカードを問わず動作するネイティブ版(UADx)が存在します。両者はプラグイン名が微妙に異なり(ネイティブ版は「Studer A800 Tape Recorder」)、後述するGang Controls機能はDSP版のみに搭載されます。
ツマミ・パラメーター解説
コントロールは、メイン画面下部のプライマリー・コントロール(よく使う操作)と、Studerロゴまたは「OPEN」ラベルをクリックして開くセカンダリー・コントロール(キャリブレーション系の詳細操作)に分かれています。
プライマリー・コントロール(信号経路・テープ選択)
まず信号経路を選ぶPath Selectが起点です。実機の再生・録音ヘッドの構成をそのまま4つのボタンで再現しています。
| Path | 内容 |
|---|---|
| Input | マシンの電子回路のみ(テープ非通過)。モニタリング時の音 |
| Sync | シンク/レコードヘッド経由の録音・再生と対応回路 |
| Repro | レコードヘッドで録音→リプロヘッドで再生する「フルの経路」。最もテープらしい音 |
| Thru | バイパス。処理負荷が下がる(IPSのOFFと同じ) |
Tape Type は、収録された4種類の2インチ磁気テープ・フォーミュラを切り替えます。それぞれ飽和の始まり方や「テープ・コンプレッション」の質感が異なります。
| テープ種 | 推奨Cal Level | 傾向 |
|---|---|---|
| 250(BASF系) | +3(251 nWb/m) | 動作レベルが低く、少ない入力で飽和・歪みに達しやすい |
| 456(Ampex系) | +6(355 nWb/m) | 定番中の定番。バランスのよいテープ・コンプ |
| 900(BASF系) | +9(502 nWb/m) | ハイレベルまで受け止め、歪みが乗りにくい |
| GP9(Ampex系) | +9(502 nWb/m) | 900同様、大入力に強くクリーンで現代的 |
Cal Level は、テープのキャリブレーション/磁束レベル(フラクシビティ)を自動設定するコントロールです。+3/+6/+7.5/+9dBから選べ、実機で言えば録音・再生ゲインのセットアップに相当します。原則は各テープの推奨値に合わせますが、あえて低めにキャリブレーションしてヘッドルームを広げたり、逆に非対応の設定にして音色を追い込む、といった使い方もできます。
IPS(テープ速度) はテープ走行速度で、これに伴う「ヘッドバンプ」(低域の盛り上がり)と周波数シフト、歪み特性が変わります。ロックやアコースティックには低域のヘッドバンプが心地よい15 IPSが定番、クラシックやジャズにはノイズフロアが低くフラットで高忠実な30 IPS、さらに色付けの強い7.5 IPSが選べます。OFFはバイパスです。
Input と Output はテープ回路への入力・出力ゲイン(外部のコンソールフェーダーのようなもの)。Inputを上げるほど、実機のテープと同じく、クリーンから倍音サチュレーション・色付けへと変化します。InputはVUメーターの振れに直結し、上げると出力も増えるため、必要に応じてOutputで補正します。Inputは-12〜+24dB、Outputは-24〜+12dB。VUメーターはテープ通過後の信号を表示し、内部動作レベルは-12dBFS(-12dBFS入力で0VU)です。
セカンダリー・コントロール(キャリブレーション・ノイズ)
ここが実機テープマシンの奥深さを再現している部分です。
Equaliser(エンファシスEQ) は、7.5/15 IPS時にアメリカのNABとヨーロッパの**CCIR(IEC)**の標準EQを切り替えます(30 IPSでは自動的にAESに固定)。CCIRは技術的に優れ「British sound」の一因とされる一方、NABにもアメリカ由来の独特の音があります。このEQ設定はハムノイズの周波数(NAB=60Hz/CCIR=50Hz)にも連動します。
HF Driver Bias(バイアス) は、録音ヘッドに供給する可聴域外のバイアス電圧の調整です。適正値では録音感度が高く歪みが少なくなりますが、**あえてオーバーバイアスにすると、ドラムなどに温かくゆるやかなサチュレーションを乗せる「テープ・コンプレッション」**が得られます。逆にアンダーバイアスは歪みやゲート的なチャタリング、極端に下げれば音の欠落まで起こせる、クリエイティブな効果としても使えるパラメーターです。
HF Record EQ は、バイアス最適化で失われがちな高域を、テープの非線形処理に入る前に補うフィルター。サチュレーション特性にも影響します。Sync/Repro EQ(それぞれHF/LF)は再生系のキャリブレーションEQで、フラットな再生特性を保つのが本来の役割ですが、単体のトーン整形にも使えます(Path Selectが該当モードのときのみ作用)。
これらキャリブレーション系は、Auto Cal をオンにしておけば、Tape Type・IPS・EmphasisEQを変えるたびに自動的に最適値へ再調整されます(デフォルトはオン)。手動で追い込むときは、意図せず設定が飛ばないようAuto Calをオフにするのがコツです。
Noise は実機由来のHum(ハム)とHiss(ヒス)を個別に±25dBで調整でき、Noise Enableで一括オン/オフできます。ヒスはテープ再生の要素のためInputモードでは無効になります。
Gang Controls(DSP版のみ)
複数トラックに挿したStuder A800の全インスタンスのパラメーターを一括変更できる機能です。実機のマルチトラック機で、テープ速度やフォーミュラを一度変えると全チャンネルに反映される挙動を再現します。20〜30個のプラグイン画面を開かずに済む時短機能ですが、変更すると他インスタンスの現在値が上書きされ復元できないため、赤い点滅LEDが注意を促します。ネイティブ版(UADx)には非搭載です。
定番テクニック・実戦での使い方
もっとも王道の使い方は、全トラックの先頭インサートに挿し、Gang(DSP版)でまとめて設定を追い込む運用です。Sound on Soundの実機との比較検証でも、456・15 IPS・Cal +9dBにバイアスを少しだけ上げた設定で、生録音に薄くテープ・コンプを乗せただけでトラック同士が明らかにまとまりよく座った、と報告されています。特にタムがドラム全体に馴染み、スネアに少しバイトが加わり、キックの低域が丸くまとまる効果が印象的だったとされています。
ドラムでは、バイアスを適正よりやや上げる(オーバーバイアス)のが定番テクニックです。温かくゆるいテープ・コンプが乗り、スネアやタムが生き生きします。強めに突っ込めばクリエイティブに膨らませることもできます。
ベースは、テープ・コンプによる「丸みと芯のある低域」が魅力ですが、実機同様、突っ込みすぎると40〜60Hz付近のパンチがやや削れる傾向も同レビューで指摘されています。低域の押し出しが欲しければ30 IPSへ切り替えると60〜100Hz帯が持ち上がりますが、その分サチュレーションのキャラクターも変わるため、耳で最適点を探るのがよいでしょう。
ギターでは、強めのサチュレーションでソフトでファジーな歪みが得られ、BiasとHF Driverの調整でその質感を追い込めます。波形整形系のプラグインより「生きた」歪み方をするのが、回路全体をモデリングしたこの製品の強みです。
トーン整形ツールとしての側面も見逃せません。Sync/Repro EQで太い低域や甘い高域を足したり、全インスタンスをGangして高域EQをわずかに持ち上げてミックス全体に「あと少し欲しい高域」を加える、といった使い方も効果的です。
Ampex ATR-102 および他社テープ系との違い
UADには本機と並ぶテープ系の看板として、Ampex ATR-102(1/4〜1/2インチのマスタリング・テープマシン再現)があります。役割の住み分けを整理すると、Studer A800はマルチトラック機由来で個々のトラックやバスにテープ質感を乗せる用途に向き、Ampex ATR-102は2トラック・マスター機で、ミックスバス/マスターの最終段でまとめて色付けする用途に向く、という傾向があります。
| モデル | ベース実機 | 主な用途 | サウンド傾向 |
|---|---|---|---|
| Studer A800 | Studer A800(2インチ・24trマルチ) | 各トラック・バス | スムースで、まとまり・低域の芯を加える |
| Ampex ATR-102 | Ampex ATR-102(マスタリング機) | ミックスバス・マスター | より色付けが濃く、カラフル |
ユーザーの声を総合すると「Studerはトラックやバスに、Ampexは2バス/マスターに」という組み合わせが定番で、実際に「全トラックの先頭にStuder A800、マスターの最後にATR-102」という運用がよく語られます。もちろん逆の使い方をする人もおり、最終的には素材と好みで判断する領域です。
他社製のテープ・エミュレーション(WavesのJ37やKramer Master Tape、Softube、u-heのSatinなど)と比べると、UADのStuder A800は回路全体を精緻にモデリングしている分、キャリブレーションや音作りの自由度が高く、実機に近い挙動が得られるのが強みです。より手軽さや軽さを重視するなら他社・他製品に分があり、UAD純正でも、まず気軽にテープ感が欲しいだけなら軽量な「UAD Oxide Tape Recorder」を選ぶという手もあります。
こんな人におすすめ
マルチトラック・テープ特有の「まとまり」「接着感」「太くまとまった低域」を、DAWの中で本格的に得たい人に向いています。全トラックにテープを通す運用を再現したい人、ドラムやベース、ギターにテープ・コンプで温かみと存在感を足したい人には特に好適です。BiasやCal Level、Sync/Repro EQといったパラメーターまで踏み込んで音を追い込みたい、テープの仕組みごと楽しみたいユーザーにも応えてくれます。
一方で、とにかく軽く手早くテープ感を足したいだけなら、より軽量な製品やUAD Oxideで足りる場面も多いでしょう。また、マスターバスの最終段での色付けが主目的なら、Ampex ATR-102との併用・使い分けを検討する価値があります。
システム要件(System Requirements)
DSP版(UAD-2ハードウェア必須)と、サウンドカードを問わず動作するネイティブ版(UADx)があります。以下は主にネイティブ版の要件です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対応OS(Windows) | Windows(最新のNative UAD要件に準拠。64bit) |
| 対応OS(macOS) | macOS(Intel / Apple Silicon 対応。64bit) |
| 対応フォーマット | ネイティブ版:VST3 / AU(macOS)/ AAX native(いずれも64bit)。DSP版:UAD-2プラグイン |
| 必要ハードウェア | ネイティブ版はUAD-2ハード不要(任意のサウンドカードで動作)。DSP版はUAD-2 / Apollo等のUADハードウェアが必要 |
| 認証方式 | iLokアカウントが必要(iLok License Manager)。インストール・認証時にインターネット接続が必要 |
※DSPをそれなりに消費するため、多数のトラックに挿す場合はマシンパワー(DSP版はUAD DSPリソース)に余裕を持たせるのが安心です。対応OS・フォーマットは更新されるため、導入前にUniversal Audio公式の最新情報を確認することをおすすめします。
出典
- Universal Audio公式「Studer A800 Multichannel Tape Recorder Manual」(UAD Support)
- Universal Audio公式「LUNA Studer A800 Tape Extension Manual」
- Universal Audio公式製品ページ、Plugin Boutique / Thomann 製品ページ
- Sound on Sound「Universal Audio Studer A800」(実機との比較レビュー)
- Tape Op(Matt Boudreau)、Gearspace、Reddit(r/audioengineering, r/universalaudio)等のユーザー・メディアレビュー